ゴールデンボンバー鬼龍院翔の生い立ちと家族構成!実家は意外にも写真屋?

SNSにて第一子の出産を発表した、ゴールデンボンバーの鬼龍院翔さん。

今回は鬼龍院さんの生い立ちや家族構成など詳しく調査していきたいと思います。

是非最後までお付き合いください。

目次

ゴールデンボンバー鬼龍院翔の生い立ち

幼少期から中学時代

幼少期は目立ちたがり屋でお笑いが好きな少年だったそうです。

しかし周囲のお笑いブームへの対抗心から、音楽に力を入れるようになり、中学1年生でエレキギターを始めたと言います。

テレビ番組で見たMALICE MIZERの『月下の夜想曲』を切っ掛けにヴィジュアル系の音楽にのめり込んでいきます。

月下の夜想局曲は曲調も声質も鬼龍院さんにとても合っていますね。

高校時代

バンド活動ができる高校を探して東京都立向丘高等学校へ進学。

好きな食べ物から「チョコ」とあだ名が付けられていたことを、当時同級生で同じクラスだったこともある歌手の木村カエラさんが語っています。

木村カエラさんと同級生でしかも同じクラスだったことに驚きです。

ようやく軽音楽部にてバンドを組むことが出来ましたが思うように活動出来なかったようです。

  • シンセサイザーが2人必要なMALICE MIZERは出来なかった。
  • ギターは人前で緊張してしまい普段の演奏ができずに挫折。
  • ドラム、サイレントバイオリンを購入、練習するも難易度が高く挫折。
  • バンドメンバーと反りが合わなかった。

バンド活動がやりたくて入った高校だっただけに、とてももどかしかったと思います。

東京NSC時代

鬼龍院翔さんはお笑いのみちへ進みます。

ハリセンボンやライスは東京NSCの同期です。

池田一真(後のしずる)と「チョコサラミ」というコンビを組んで活動するしますが、二人の間に溝ができ、池田から言い出された解散を受け入れることとなりました。

NSC卒業後は、お笑いの世界では成功できないと感じて、芸人から方向転換。ついにバンドを始めることとなります。

ゴールデンボンバー結成

2004年末、鬼龍院と喜矢武を中心とした3名でパンクバンド「ゴールデンボンバー」を結成しました。

バンド名の由来は、皆で考案中に喜矢武がテーブル上にあった缶コーヒー「ゴールドラッシュ」から思いついた名前だということです。

ここから音楽の方向性などメンバーの入れ替えはありましたが、大人気エアーバンド「ゴールデンボンバー」となっていくのです。

鬼龍院翔の本名は「一浦 翔(いちうら しょう)」です。
沖縄出身の友人に「鬼龍院」という名字の方がいるようで、この名前をかっこいいと思い芸名に採用しました。

鬼龍院翔の家族構成

鬼龍院翔の家族構成は父・母・兄・鬼龍院翔・弟の5人家族です。

過去のインタビューで、「兄と弟がいるんですけどどちらも廃人みたいな生活を送っていますね。」

と語っていました。

どんな生活なのかとても気になります。

ちなみに弟さんの話題がSNSで出ています。

実家が写真屋というのは本当なのか

鬼龍院翔さんの実家は、東京都台東区の「イチウラ写真館」ではないかと噂されています。

名前がイチウラで鬼龍院さんの本名と一緒なので信憑性があるのではとSNSで話題となっていましたが真相はいまのところ不明です。追加情報が分かり次第追記します。

まとめ

ゴールデンボンバー鬼龍院翔さんの生い立ちと家族構成について調査してきました。

番組ではかなり弾けたイメージしかないため、実家が写真屋だというのはかなり意外でした。

また、しずるの池田さんとコンビだったことも驚きです。

これからも応援していきたいと思います。

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